Pygmaliōn

「それが水戸大先生の新作ですかい?」

古くからの知己である野間はソファに深々と身を沈めた。

「こりゃまた素晴らしい出来だな」

「ソイツを売るつもりはない」

洋平は一服したタバコを灰皿に押し付けると、会話を断ち切った。

野間は片眉を吊り上げた。「へえ?」

「会心の出来なんだ。オレの人生初の……」

感慨深そうに話す洋平の目は、彫像を捉えているのか、その向こうにある窓の外を眺めているのか分からなかった。

「じゃあ非売品として展示会には?」

野間の問いかけに洋平は首を横に振った。

「どこにも出さない。大切なものなんだよこれは」

「珍しいな……お前は昔からそういう物でも見せることは惜しまなかっただろ?」野間は意外そうに発して、缶コーヒーに口をつけた。

洋平は薄汚れたサイドテーブルに置かれた灰皿を隅に置くと、天板に腰を掛け、手を組み合わせて俯きがちに言った。

「本当に大切なものは……誰にも見せないんだよ」

組み合わされた手に視線を落とし、凪いだ海のように静かで抑揚のない声で続けた。

「でもそういうものはオレの手から離れていくんだ。……そしてそれはそうあるべきなんだ」

物思いに耽る洋平に、野間は曖昧に気の抜けた返事をした。そして缶コーヒーを手に持って腰を上げると、燻し銀の顔に微笑みを浮かべた。

「まぁ元気そうでなによりだ。ところでコイツに名前はあるのか?」缶を持った手で彫像を指さす。

「いや、付けてない」洋平は否定した。

「名無しの権兵衛かよ。大切な物なんだから、コイツだソイツだと呼ばずに付けたらどうだ? そのほうがもっと愛着も湧くだろ」

野間の提案に洋平は乱れたリーゼントを整えるように撫で付けた。

「別に名前なんか、どうだっていいんだけどな……」

そう言って立ち上がり、彫像を一瞥するとその後ろにある窓の外を見つめた。

窓の外の小さな庭に植えられた桜の木に、昼下がりの陽光が降り注いで地面に木漏れ日を落とす。風に戦がれて葉を揺すらせ、花びらをはらはらと散らしていた。

花擦れの音に紛れて、雲雀の軽やかな囀りが聞こえる。

「桜木……」洋平はおもむろに口を開いた。「桜木花道」

「桜木花道!」野間は瞠目してオウム返しをした。

「めでてぇ名前だな!」野間は可笑しさに引き笑いをした。一頻り笑い、ため息を吐く。

「だけど良い、気に入ったぜ。ソイツの名前にあやかろうじゃねぇか」

去り際、野間は缶コーヒーを掲げて高らかに言った。「桜木花道と水戸洋平に乾杯!」

洋平は微笑みで返し、愛車に乗って去っていく野間を見送った。

陽気な男が出て行った後の部屋は閑散として、室の真ん中に悠然と佇む彫像だけが存在感を放っていた。

その彫像に近寄り、下から上へと目線を動かせて眺める。向かい合えば台座に片膝を立てて座る彫像と目線が合う。 一糸まとわぬ引き締まったしなやかな体から顔を上へと動かすと、力強い眉毛の下にある鋭い双眸に目を奪われる。

「桜木花道か……」

見つめ合いながら、洋平は薄らと、満足気に顔を綻ばせた。

「いい名前じゃないか」