究極の選択
・恋人に「仕事と私、どっちが大事なの!?」と迫られたら、アナタはどうする?
ブラウン管テレビに表示されたその質問に、画面外から観客の大袈裟な反応が聞こえる。
司会者である大御所のお笑い芸人が、今をときめく男性アイドルに話を振る。イメージ戦略が徹底している彼は、 「もちろん恋人ですよ」とカメラに向かって白い歯を光らせた。観客の黄色い悲鳴が 囂しい。 次いで司会者は年季の入った男性俳優に尋ねる。男性俳優は仕事を選んだ。そして真面目な顔で自説を語ると、 観客を含めた他の出演者が感嘆の声を漏らしてその男性を褒め讃える。一頻り持ち上げた後、 司会者は中堅のお笑い芸人のコンビ名を呼んだかと思いきや、「いや、お前らはええわ」とそっぽを向いた。 すぐさまその二人が立ち上がり大きな声でツッコミをして、スタジオは笑いに包まれる。
茶番劇だ。洋平は心の中で吐き捨てた。隣には、胡座をかいて座る花道が、 テレビに映る人たちと同じタイミングでゲラゲラと笑っている。この笑顔を見ているほうが幾らか愉快だと洋平は思った。
洋平はちゃぶ台に頬杖をついて、何となく聞いた。「こういうの、マジに言われたらどうするよ、お前」
「洋平は?」 花道が聞き返す。
質問を質問で返された洋平は、間延びした声をひとつ出して答えた。 「仕事だな。こんなこと言ってくる奴なんて面倒臭くてしょうがねぇよ。ソイツとさっさと縁を切る為にもオレはそう答えるね」
「ひでーヤツ」 花道が目を細める。
洋平は知った風な顔をして続けた。「だってそうだろ。もちろん限度はあるぜ? 働いてばっかでちっとも構ってくれないなら、 そう言いたくなる気持ちも分かるけど、ちょっと仕事を優先しただけでソレを言われたらダルいよ」 前提条件を勝手に加える。 元々の質問が漠然としているのだから、多少は状況を限定しないと話が進まないと、中学二年生にしてはしっかりとした考えを洋平は持った。
「それで? お前はどう答えるよ」 今度こそ洋平は花道に聞いた。
花道はしばらく考えたあと、キッパリと言い切った。「両方」
「はぁ?」 虚を衝かれた洋平は顔を花道に向け、口から間の抜けた声を出した。
「シゴトもコイビトも選ぶ」 花道は断固として答えた。
「お前さぁ、質問文読んだ? どっちが大事かって聞いてんだけど」 洋平はテレビ画面を指差した。 しかし番組はとうにコマーシャルに切り替わっており、今画面に映っているのは妙齢の女性俳優が子役と一緒にシチューを食べている様子だった。
花道は眉間に皺を寄せた。「だからどっちも大事なんだから両方って言ったんだろーが」
洋平が呆れたと言わんばかりにため息を吐く。「だーかーらー、どっちか選べって言ってんの。言ってる意味分かる? 一つだけしか選べねーの」
ませているとは言え、花道の頑固な態度につられてすぐにムキになる。彼はまだ年相応の幼稚さを持っていた。 洋平はテレビ画面に向けた指を、今度は花道に突き立てる勢いで差した。「そんなんじゃ恋人も『優柔不断だ』って言ってお前のことを振るぜ。絶対にな」
挑発されて、花道は洋平に掴みかかった。
「うるせー! オレはどっちも手に入れる! シゴトを完璧にこなしてコイビトもめちゃくちゃ幸せにする! それなら問題ねーだろ! オレは妥協しねーぞ!」
口角泡を飛ばすほどに怒鳴られた洋平は、目を見張り口を噤んだ。
二の句を継がない洋平の様子に、息の荒い花道は、初めて言論で洋平を言い負かしたことに悦に入った。 だが、満足も束の間に、洋平は口を開いた。花道は咄嗟に、もし何か反論してきたら暴力で以て黙らせてやろうと心の内で身構えた。
しかし花道の警戒に反して洋平は大人しく降参の手を挙げた。
「……そんなに必死になられちゃ、もう何も言えねーよ。お前の勝ち。これでいいだろ」 花道の掴む手を解き、洋平は背を向けて縒れた襟元を直した。
負けを認めた彼の淡白な態度に花道は拍子抜けしたが、すぐに気を取り直して、ふんと鼻を鳴らした。
「分かりゃいいんだ」 そう言うと彼は再びテレビ画面に齧り付いた。バラエティ番組は終わり、最近話題の恋愛ドラマが放映されていた。
洋平は今だに襟元に手をかけながら、じっと畳縁を見つめた。やけに胸が騒がしい。脳裏には花道が自分の胸を掴んで怒鳴るシーンが何度も再生された。
花道の射干玉の瞳に己の姿が反射する。洋平は、映りこんだ己の呆気に取られた顔を見つめながら、 まるで自分が彼の恋人であり、実際にそう言われたかのような気持ちになった。そして彼の言う通り、 万事が彼の望むままになる気がして、もうその言葉を聞けただけで自分が彼について行く理由は十分だと感じた。
なぜそんな錯覚をしたのか洋平にも分からない。ただ今はまだ花道の顔を見れそうになかった。
テレビからはドラマの主題歌が、場違いな程に甘ったるいメロディを奏でていた。