第二章

4

濡れた髪を乱雑にタオルで拭きながら、洋平は廊下を歩いた。シャワーで表面だけを温められた肌はすぐに熱を失って、入浴前より肌寒い。

客間に戻ると、花道が敷かれた布団の上に腹ばいになって寝そべり、漫画を読んでいた。

「どこから持ってきたんだそれ」

「茶の間の本棚。アニキに訊いたら好きなだけ読んでいいってさ」

「ふーん」

洋平は寝そべる花道の上を跨いで荷物の置いてある壁際に腰を下ろした。キャリーケースを開けてドライヤーを手に取り、ドライヤーに巻きついたコードを解く。

「アニキの奥さん、良い人だよな」

出し抜けに話しかけてきた花道に、洋平は手を止めた。

「そうだな」コードを解く。

「優しいしキレイだし、良いお母さんになるんだろうなー」

「……そうだな」

ドライヤーを持って振り返る。視線を上げた花道と目が合った。

「兄貴には勿体ねーくらいだぜ!」洋平はいやらしい目つきで言った。

「ワハハ! 言えてるな!」花道も目を細めてヘラヘラと笑った。

日中の移動の疲れがあった二人は、まだ寝るには早いが床に就くことにした。風呂で温まった体に重たい毛布が載り、二人はあっという間に眠りに落ちた。


洋平が目を開けた時、辺りは未だ闇に包まれていた。体の感覚が、まだ真夜中だと言っている。

洋平は思った。やっぱり、自分は馴染みのない場所では熟睡できないらしい。合宿でも広島でも、いつも真夜中に目が覚めて、 イビキの喧しい三人に囲まれてうんざりとした気持ちで寝直していた。唯一、自宅以外で熟睡できる場所は花道の家だけだ。あそこには通いすぎている。

洋平は寝返りを打った。すると眠る花道が目に入った。

静かに寝息を立てる花道の、起伏のある横顔を見つめる。

穏やかに眠っていること、それだけで洋平は今をありがたく思った。

きっと花道はあの日のことを、自分よりは強く覚えていないのかもしれない。花道はとっくに許しているのか、 それとも忘れているのかは定かではないが、今なお花道が自分に笑いかけてくれることが、洋平にはある種の救いとなっていた。

時には時間だけが癒すものがあり、人には向き不向きがある。そして触れられたくない領域も。

皮肉にも洋平は花道を傷つけたことで学び、自分のポリシーをより強固なものにした。

過去を顧みたことで、また一つ、心残りだったことを思い出した。

闇の中で泣きじゃくる花道の背中を擦って、一心に同じ言葉を重ねていた。求められているものは違うと分かっていながら、 それでも切実に与えようとしていた。それしかできない自分が情けなかった。

後悔が次々と湧いてくる。洋平の脳内で反省会が繰り広げられた。

駅で花道の口から晴子の名前を聞いて、あからさまに機嫌を損ねた自分を恥じた。

いったい自分は何を気にしているのか。洋平自身も分からず、それが余計に苛立ちを誘った。

彼女には感謝している。感謝してもしきれない。花道をバスケットと出会わせてくれた。

花道が本当に欲しかったものは恋人ではなく、自分の全てを賭けられるほどに情熱を傾けられる何かだった。 ガムシャラになれる楽しさと幸せを与えてくれる何かだった。努力すればするほど強くなれる実感と、強くなればなるほど自分に期待して必要としてくれる存在だった。

その全てを持っていたのがバスケットだった。それは喧嘩では絶対に得られず、恋人でも彼の心を満たせなかっただろう。

今の花道にはバスケットがある。だからハルコちゃんにフラれたとしても、平気でいられるのはあり得る話だと、洋平は納得していた。

納得している。それなのになぜ、まだ胸騒ぎがするのか。

自分の思考に反して心がざわついている。不安が澱のように沈んでいる。

自分の気持ちが分からない。花道にどうあってほしいのか、花道の何になりたいのか……

洋平は深く息を吐いた。そして目を瞑ると、寝返りを打って仰向けになった。考えすぎて急に全てがくだらなくなった。

『いつまでオレはぐだぐだと考えているんだ。花道とハルコちゃんの間に何があろうと、それはオレには関係ないことだ。 オレがどう思っているかなんて、花道にも、オレにも知ったことじゃないんだ』

洋平はそう思って、無理やり自分を寝かしつけた。

胸はまだざわざわと波の音を立てていた。