プロローグ
真に美しいものと出逢う時、人はこんなにも痛みを味わうものなのか。
洋平は己の胸を掴み、息もできないほどの感情に身悶えた。雪原に膝から頽れるのを寸前で堪え、目を強く瞑ると、自分を苦しめた赤色が瞼の裏に広がる。
眼裏に焼きついて離れないあの赤、この身を焦がすほどに見惚れた赤に、彼は両の腕を伸ばしてしかと抱き寄せたいと強く願った。
その赤は人の形をしていた。背丈は約六尺。洋平の前方で彼に背を向けて立ち、眼前に広がる雪景色を愉しんでいるようだった。 深紅の上着に身を包むその体躯は、厚手の布によってより逞しく見えた。
だが洋平が目を奪われたのはそこではない。髪だった。男の髪は日の丸のごとく、真っ白な世界に垂れた一滴の血のように鮮烈な赤色をしていた。 それがまるで自分のものだったかのように、洋平は胸を押さえ、脈打つ鼓動が収まるのを祈る気持ちでいた。
やっとのことで洋平が息を整えると、彼はくるりと後ろを向いて叫んだ。己のこの突然湧き上がった想いを解放させるために、 しかしそれを男に悟られないように、意味のない言葉を遠くに聳える山々にぶつけた。
幾分か胸中が楽になり、洋平が安堵のため息を漏らすと、後ろから男の非難めいた声が飛んできた。 洋平は男のほうに向き直って笑いながら、彼にも叫ぶように勧めた。今やそこにいるのは、男を強く想う桜人ではなく、男の唯一無二の良き友人だった。
男は洋平の誘いに、下唇を少し突き出して目線を左上に逸らし、しばらくの間黙した。 そしてにわかに大きく息を吸い込むと声を張り上げた。地を揺するような大音声が、銀世界に響き渡る。
「桜木花道、北海道に参上!」