第一章

4

花道と出会った日のことはよく覚えている。

中学生になった初日に、「ナメた顔してんじゃねぇぞ」という耳にタコができるほど聞いた理由で、洋平は校舎裏で三年生数人に囲まれていた。

さすがに一人で対処できる人数ではなかったが、頭を下げて許しを乞うのも癪なので、気を引き締めて拳を握った時、彼は彗星のごとく現れた。

洋平の目にはそのシーンだけがゆっくりと流れ、まるで舞い降りたかのようだった。

男が威勢よく雄叫びを上げて暴れだす。突然の参加者に全員が面食らった。洋平も呆然と突っ立っていたが、 男が洋平に襲いかかってくる三年生の攻撃を防ぎ、そのままなぎ倒していくのを見て、ようやく彼が味方になってくれているらしいと判断し、 そのまま男の補助をするかたちで再び喧嘩に加わった。

血を浴びたような鮮やかな髪色に目を眩ませながら自然と背中を合わせた時、洋平は妙な感情を覚えた。 イレギュラーな状況に置かれながら、沸き立つような活力と満ち足りた安心感があった。魂が、それを感じていた。

累々として倒れている先輩たちのなか、肩で息をする自分と違い、依然として堂々と立つ花道に洋平の視線が釘付けになった。

「お前……桜木花道だよな」

名前を呼ばれ、花道は振り返った。大人よりも立派な体の上にある顔は顰め面ながら年相応の幼さがあった。 先ほどまでの鬼気迫る顔つきとの違いに、洋平はさらに興味をそそられた。

「ぬ、なんだオメー。お前もオレのこと知ってんのか」花道が訊き返す。

まだ変声期を迎えていない喉から紡がれる言葉つきがまた、花道の幼さを感じさせた。

洋平は笑みを零した。

「そりゃあな……有名人だし、お前」

入学する前から花道の名前は悪名高く知れ渡っており、周囲から不良と呼ばれていた洋平の耳にも当然入っていた。

有名人、その響きに悪い気はしていないのだろう花道の満更でもない顔を見ながら、洋平はさらに訊ねた。

「なんでお前、オレのこと助けてくれたの」

「あ? そんなの決まってんだろ」

愚問だと言わんばかりに、花道は眉間に皺を寄せた。そして至極当然という顔で答えた。

「集団で弱い者イジメをするのはヒキョー者のやることだ!」

でもそんなに弱くはなさそうだったけどな、お前。花道は洋平を頭から爪先まで眺め回して言った。

「しかしキミ、命拾いしたね。この喧嘩の天才が現れたならもう恐れることはないのだよ」胸を拳でドンと叩く。

仰々しい口振りに、一度見たら忘れられないような能天気な笑顔で花道が言う。両手を腰に当てて胸を張る姿はまるでテレビに出てくる正義のヒーローのようだ。

花道が話している間、洋平は彼を見ていた。口をぽかんと開け、また呆気に取られていた。

しかし突然、彼は堰を切ったように笑いだした。ゲラゲラと腹を抱え、強く地面を踏んでは苦しそうに身を捩り、 ときどき噎せながら呼吸をしてはまた笑う。目には涙すら浮かべていた。

洋平の豹変っぷりに花道は目を丸くした。だが自分が笑われていると理解すると、すぐに怒気を声に含ませた。

「て、テメー、なにがおかしい!」

握り拳を作る花道に、洋平は慌てて手のひらを前に突き出した。

「いや、いや待て待て、べつにバカにしてるんじゃねぇよ。カッケーこと言うなあって思って」目尻の涙を拭って言う。

花道は未だ腹落ちできないようだったが、とりあえず拳を引っ込めた。

痛む腹を片手で擦りながら、洋平は言った。

「始業式にいなかったよな。オレたちさぁ、おんなじクラスだぜ」

どれだけ遠く離れていても、この背丈と赤頭を見つけられない者はいないだろう。洋平は体育館でも、 名簿の貼られた教室でも見当たらなかった花道の姿を思い出しながら言った。彼の名前もまた、一度目にしたらそうそう忘れることはない。

「オレは水戸洋平。これからよろしくな」

洋平は右手を差し出した。爽やかな笑みを花道に向ける。

だが花道は、その手を取ろうとはしなかった。洋平は予想外の展開に少し肩透かしを食らった。

花道は訝しげな顔のまま、洋平の右手と顔を交互に見て、口を開いた。

「……つまりお前……洋平、オレと友だちになりてぇのか?」

「ん? えーと、あー、うん、まぁそうだな……」

洋平は前に出した手で一度前髪を撫でつけた。はっきりと言葉にされると些かの照れ臭さがある。 しかしここで誤魔化してもしょうがないだろう。洋平は言い直した。

「友だちになろうぜ、オレたち」

改めて右手を差し出す。花道は目を見開き、はちきれんばかりの晴れやかな笑顔で強く手を握り返した。

その握力に洋平もまた、大きく目を見開いた。


こうして二人は友人となり、その他三人も加わってあれよあれよという間に桜木軍団の名前が和光中学校を中心として広まった。

洋平はそれまで花道のことを、ずいぶんと長い尾鰭がついた噂程度にしか知らなかったが、なるほどこの男は噂通り、 いやそれ以上にメチャクチャな奴だと思い知った。また、「弱い者イジメ」は許さないと憤っていたわりには、 この男もどちらかと言えば「弱い者イジメ」をする側じゃないかと呆れた。

目的のためなら手段を問わず傍若無人で悪逆非道、まさにワルモノといった立ち振る舞いを見せ、 かと思えば純真無垢で好きな子には一途な姿を見せる花道は、目に余る時もままあるが見ていて飽きなかった。

手を握り合ってすぐ、花道は生まれて初めて友だちができたと涙ながらに語っていた。それが理由の一つになっているのか、 花道は洋平を無理やり自分のわがままにつき合わせていた。ある時は夜の学校のプールに侵入したり、 またある時は告白が成功したこともないのに、デートの練習として遊園地に連れて行ったりした。

洋平が文句を言いながらも、結局はそのわがままにつき合ってあげたことも一因だろう。洋平が断らなかったのは、 単純にそのほうが楽しかったからだ。そして、相手が自分だからこそ、花道はわがままを言っているのだと知っていたから。

花道が時折に垣間見せる内気な性格と、強がりで隠していた本当の姿。

洋平は生まれつき聡かった。人より観察力が鋭く、感情の機微に敏感だった。だから花道が人には見せたがらない一面をすぐに見抜き、 そこには触れないように慎重かつ丁寧に扱った。洋平もまた、他人に知ったような口で深く干渉され、 ずかずかと踏み入られることを人一倍嫌っていた。「じぶんがされてイヤなことは、人にしてはいけません」と心得ていた。

心得ていた、つもりだった。

花道が自分にだけ向ける信頼。まるで孤独な獣が寄り添って、親しげに手を舐める感覚。その得も言われぬ高揚感。

当時の洋平は周りに比べれば確かに大人びていたが、しかし今現在の彼からしたら顔を覆いたくなるようなものだった。 花道の自由奔放な振る舞いにつき合ってあげている自分に自己陶酔感を味わっていたことを否定できない。

花道の親友であることに、彼は少なからず酔っていた。