第一章

5

アルバイトを終えた洋平は、家に帰ると早速、北海道にいる自分の兄に電話を掛けた。 花道も来てくれると知った兄は喜び、北海道に旅行をする際の必需品や注意点をまくし立てた。

「待て待て、そんな一気に話すんじゃねぇよ」メモを取りながら、洋平が文句を言った。

電話口から兄の呑気な笑い声が聞こえる。

「悪い悪い、嬉しくってさ。また明日にでもまとめて話すよ。とりあえず防寒着は必須だな。 ちゃんとしたヤツだぞ? 薄っぺらいのじゃダメだ。下にセーターとか着ないといけないし、あとマフラーとか手袋とか、靴だって防水性のあるものを……」

洋平はすかさず制止の声を上げ、煩わしそうに鉛筆の端で頭を掻いた。

「分かってるって。とにかく分厚いのを着てくりゃいいんだろ」

「おう。花道にもちゃんと言っといてくれよ。……花道ってジャンパーとか持ってる?」

兄の発言で洋平は、あぁ……、と低く声を漏らした。

なんの矜持か知らないが、花道は防寒着を着たがらない。晩秋の頃になっても平然と薄着で外を出歩く。 薄手のジャケットだけを羽織ってTシャツとデニムパンツで街を闊歩する姿は、見ているこっちが寒気を感じた。

「買いに行かせなきゃな……」

「おー、無理やりにでも買わせろよ。本当に寒いんだからな? 神奈川の冬とは比べ物になんねーぞ」

兄の言葉に洋平は頷き、他愛のない会話を二三言交わして電話を切った。


「そういう訳で、部活が終わったら服買いに行くぞ。居残りで練習とかするなよ」

翌朝の学校にて洋平が下した命令に、花道はあからさまに不満の声を上げた。

「めんどくせー」

「兄貴が言ってんだからしょうがねぇだろ。それにお前、絶対に北海道の冬をナメてる」

洋平は北海道について兄からの受け売りの知識を語った。しかし花道は余裕そうに鼻を鳴らした。

「大丈夫だろ。オレは生まれてこの方、風邪なんか引いたことねぇぞ。見よこの健康的な肉体を!」

胸を張って逞しい体を誇示する花道に、洋平は「バカ言ってんじゃないよ」と呆れた口振りで返した。

「とにかく行くったら行く。分かったな? 俺は今日はバイトないし、部活動が終わるまで待ってるから」

花道は渋々と返事をした。しかし、何が彼の気に入ったのか、返事のすぐあとに上機嫌に鼻歌を口ずさんでいた。

わざわざ一緒に行く必要性はないのかもしれない。洋平はちょっとそう思ったが、こうでもしないとこの男は、 忘れていただとか金が無かっただとか適当な言い訳をして、最後まで買わないだろうと危ぶんだ。

こうして二人は部活動が終わったあと、小銭しか持ち歩かない花道のために一度彼のアパートに寄ってから、 花道の自転車に二人乗りをして駅前にある昔馴染みの商店街に向かった。


商店街のアーチ看板を通り抜けて約五分、右側にある服屋に入る。

その店はこぢんまりとした店構えをしていた。数は少ないが老若男女と幅広い層の衣服を売っており、学生服も取り扱っている。 それだけではなく学生服の改造も承っていた。はす向かいに床屋が建っているのもあって、 周辺に住む学生のほとんどがそこで一張羅を仕立ててもらい、晴れて不良デビューをしている。多分に漏れず洋平と花道もそうだ。 数年前にできた大型ショッピングモールには遠く及ばないが、中学生時代からお世話になっているその店には愛着があった。

蛍光灯が点いていても少し薄暗い店内を物色する。店の奥まった所にあるハンガーラックに男性用の防寒着が多数掛けられており、 花道はそこで安くて好みなデザインの上着がないか無言で見定めていた。洋平も、花道を連れてきたついでに上着を買い替えることにした。

「オレ、これにする」花道がそう言って一枚の上着を取り出す。洋平はちらと一瞥した。

鮮やかな赤地のジャケットだ。ナイロン製で、襟と、肩峰から肩甲骨のあたりが黒く塗りつぶされ、 黒の太いラインが腕のつけ根をぐるりと囲み、肩を沿って肘の少し上まで伸びていた。

「あー……良いんじゃねーの」洋平は適当に相槌を打ち、すぐに視線を手元に戻した。

花道は足元に置いた買い物かごの中にパサリとその上着を落とした。洋平の忙しなく動く手元を見る。

「まだ決まってねーのか」

「まだ」

洋平はハンガーラックの前を何度も往復していた。サイズの合う上着が十数着はあるが、どれも微妙に自分の好みではない。 どこかに変な模様や明るい色が入っていて気に入らなかった。売れ残りだと言われても納得できるような代物だ。

やることがなくなって暇になった花道は、早く家に帰りたいからか洋平の上着探しを手伝い始めた。カタカタとハンガーラックから上着を取り出してはすぐに戻す。

ふと花道は、洋平が左手で物色しながらも、右手は一着のジャケットを離さないことに気づいた。

「それでいいじゃん」

洋平は、指を差されて初めて気付いたかのように小さく返事をした。なんともなさそうにそれを手放したが、名残惜しげな眼差しを注いでいる。

「これはダメだろ」

洋平の返答に花道は首を捻った。「なんでだよ。それが一番似合うんじゃねーの?」

洋平は心の内で同意した。試着はしていないが、このなかで一番しっくりくるだろう。それにもともと、 他に良いものが無ければこれにしようと決めていた。だから手を離さずにいたのだ。しかしついさっき、選択肢から外さざるを得なくなった。だってこれは──

洋平はその上着を花道の前に突きつけた。

「お前とお揃いになっちまうよ」

それは花道が選んだものとまったく同じデザインだった。唯一の違いは生地が青緑色な点だけだ。

しかし花道は顔色を変えずに返した。

「それがどうした」

花道は洋平の態度に驚いた。

「マジで? 気にならねーの?」

「ならねーよ。色が違うし」

「でもお揃いだぜ? 色は違うけどさ」

花道は腕を組み、泰然自若として言った。

「それがどうした」

洋平は閉口した。なんだか自分が気にしすぎているだけに思えてくる。けれども二人の男が色違いの上着を着て並ぶ姿は、やっぱり異様に感じた。

それじゃあほかの上着を選ぶのかと問われればそれもまた躊躇う。北海道から帰ってきたきり二度と着ることはないだろう。 大事なアルバイト代を、そんなたった一回着るだけの服に使いたくなかった。かといってこれから別の店に行くのも面倒臭い。 明日から旅行当日まで、放課後は予定が入っているので学校帰りに買いに行く時間もない。

花道の急かす声が聞こえる。洋平は観念して青緑の上着を買い物かごの中に放り入れた。


「これでもう買う物はないな」

買い物を終え、洋平は二つのポリ袋を花道の自転車のかごに詰めた。花道がサドルに跨り、洋平はリアキャリアに腰を下ろす。

「よーし、さっさと帰るぞ」

花道は自転車を前に動かせてスタンドを上げ、勢いよく漕ぎ出した。予想外のスピードに、洋平は咄嗟に花道の腰に腕を回し抱きついた。

「もっとゆっくり走れよ危ねーな!」洋平は怒鳴り声を上げた。全身に浴びる空風に身震いし、鳥肌が立つ。

「うるせー腹減ってんだよ!」証拠だとでも言わんばかりに腹の音を轟かせる。

花道は速度を緩めるどころか、さらに脚を素早く回して全速力を出した。 慌てて避ける通行人にはお構いなしの花道に洋平は冷や汗をかき、二人は商店街を走り抜けた。