第二章

7-1

洋平たちは帰りしなにスーパーに寄り、頼まれていた食材を買い込んで帰宅した。

「ただいまー」玄関にて、買い物袋を携えた洋平の兄が言った。

「お帰りなさーい」彼の妻が茶の間から出てきた。「おつかい、ありがとうね」彼女は三人に向かって言った。

靴を脱いでいた花道が顔を上げると、偶然に彼女と目が合った。

「お帰りなさい」

柔らかな微笑みをたたえて、花道に笑いかける。

花道は僅かに目を丸くして、彼女の顔を見つめた。そしてさっと立ち上がると、背中を撫で、目線を逸らした。

「……ウス」

それだけを言って、花道はそそくさと玄関を上がった。

彼女は花道のよそよそしい態度が気になったが、自分の前を横切ろうとする洋平の濡れた膝下が目についたので、今度は彼に話しかけた。

「びしょびしょじゃない。雪の中に入っちゃったの? 着替えはある? 洗濯しようか?」

「大丈夫っス。ストーブで乾かすんで」

洋平は手短に答え、脱いだ靴下を手に持って花道のあとを着いていった。

立て続けに素っ気ない態度を取られ、彼女は一日目との反応の違いに不安になった。しかし、男子高校生とはそういうものなのだろうと、自分を納得させて夫とともに茶の間に戻った。


洋平が客間に入ると、先に部屋にいた花道がもう寝間着に着替えていた。

洋平は濡れたデニムパンツを脱いだ。ストーブの前を陣取って暖かくなるのをじっと待つ。胡坐をかいたら見えた足裏は真っ赤になっている。

『はしゃぎすぎたな』洋平は少し後悔した。

花道の元気っぷりにあてられて羽目を外し、犬たちと駆け回った。それはとても楽しかったが、ズボンは雪に塗れて靴の中も濡れそぼり、その後の移動は最悪のものだった。

ストーブが音を立てて点火する。熱風が冷たい手足に触れて痛いほど熱い。

洋平がデニムパンツを乾かしているところに、花道が横から体を押しつけてきた。

「どけ」

「押すなよ」洋平が横にずれる。

二人が肩を寄せ合って暖を取っていると、足音がして部屋の扉が開いた。洋平がぎょっとして咄嗟にデニムパンツを腰に纏わせる。

扉からひょっこりと彼の兄が顔を覗かせた。

「ノックしろよ」洋平が安堵の含まれた声で文句を言う。

兄は笑いながら軽く謝ると、「暇ならトランプしようぜ」と言ってトランプの入った箱を見せた。

「ズボン乾かしてから行くわ」

洋平はそう言って、デニムパンツをストーブに触れそうなほど近付けた。今朝のように、花道も自分と一緒に残ろうとするだろうかという考えが彼の頭の片隅にあった。

しかし花道は「しょーがねーなー」と言って腰を重たそうに上げたので、洋平は少し意外に思いつつも、同時に安心もした。


温かいデニムパンツを穿いて洋平が茶の間に入ると、炬燵では想像以上の盛り上がりを見せていた。騒がしい花道がいてくれたおかげか、ただのババ抜きが賭け事のように白熱している。

「洋平も早く来い! なんかアニキめちゃくちゃババ抜きつえーんだけど!」

花道が激しく手招きをして、悔しそうにくしゃくしゃと頭を搔いた。

「お前が弱すぎるだけだろ」洋平は減らず口を叩いて炬燵に入った。

入り際にちらりと花道の手札を覗くと、真っ先にジョーカーのカードが目に入った。

洋平も参加するから、という花道の建前によりゲームは強引に仕切り直しになった。だが、もともとカードゲームの得意な洋平が加わったことでより花道は窮地に陥った。

「こんなガキ臭いゲームつまんねーし」そう捨て台詞を吐いて、花道は別のゲームを要求した。

花道に従った洋平の兄が、物置から大きな箱を持ってきた。

「なんだこれ」花道が訊く。

「人生ゲームだよ。やったことない? 見たことはあるだろ」

「ない」

「えーっ、マジ? でも洋平はあるだろ。小さい頃、正月とかに従兄弟と一緒に遊んだよな」

話を振られた洋平は、ちらと花道を見てから答えた。

「ガキの頃だろ、全然覚えてねーよ。それにオレらはアナログゲームの世代じゃないから」

実際、洋平にはこのゲームで遊んだ記憶がほとんどない。思い出せる記憶は色褪せた写真のように一場面を切り取ったものばかりで、その全てに感情が伴わなかった。

洋平が茶化すように言うと花道もケタケタと笑って同意してきた。

「そーそー。ゲームっていったらデジタルよ! 時代がちげーんだ時代が」

洋平の兄が白々しくショックを受けた素振りをする。

「まぁやってみようぜ。けっこう面白いからさ」

そう言って彼は人生ゲームの箱を開けた。

ルーレットが取りつけられたすごろくの盤面の他に、おもちゃの紙幣や自動車を模した駒が入っている。

洋平には見覚えのあるものばかりだ。しかし、約束手形や証券の類なんか、子供の頃の自分はどう思ってこれを扱っていたのだろう。

兄から簡単なルール説明を受けて始めてみると、ババ抜きほどではないが盛り上がった。

あわや一文無しの大暴落を免れて、ゴールを迎えた花道が知ったような顔で言った。

「ま、終わり良ければすべて良しってことだな」


遊び終わった午後五時の微睡んだ時間。洋平の兄は炬燵に入って眠りこけ、義姉は小用を足しに席を立っている。

花道がリモコンを操作してテレビを点けた。やや時間を置いてから地方局の報道番組が映る。知らない町の事件が報道されていた途中で花道はチャンネルを変えた。下矢印のチャンネルボタンを押していくと、子ども向けの教育番組が表示された。

花道は手を止めた。リモコンを置く。

「なにお前、これ観んの?」洋平が訊く。

しかし花道は返事をしない。

ブラウン管テレビの画面に、アニメ映像が映る。和紙をちぎって貼りつけたような歪な輪郭の男児が、エプロンを着けた母親に抱かれながら眠りに落ちようとしている。童謡のもの懐かしい旋律にのる母親の歌声は透き通り軽やかだ。

「この歌、聴いたことある」

花道が呟いた。

「オレもあるわ。幼稚園生の頃スゲー聴かされたなー」洋平が言った。

ぼんやりとした目で歌を聴く花道に、洋平は迷った。懐かしさに浸りたいのか知らないが、この歳で幼稚な教育番組を観たくなかった。

「……チャンネル変えるぞ」

洋平は言ってリモコンを取った。花道が嫌がる素振りもなく返事をしたので、そのままチャンネルを変え、ローカル番組の知らないタレントを映した。