第二章

7-2

洋平の視界に、茶の間に戻ってきた洋平の義姉が入った。義姉は台所まで行くと夕食の支度に取り掛かろうとしていた。冷蔵庫が開く音に、聞き耳を立てる猫のように花道は素早く振り返ると、炬燵から出て彼女のもとに歩んだ。

「オレ、なんか手伝いますよ! なんでも言ってください!」

「あっ、オレも」洋平もつられて立ち上がる。

義姉は大げさにかぶりを振った。

「えぇ? いいのよぉお客さんなんだから! ゆっくりしててちょうだい」

しかし何か言いたげな顔で戻ろうとしない花道を見て、洋平は彼女に言った。

「手伝わせてくださいよ。そこで間抜け面晒して寝てるバカの代わりに」立てた親指で後ろを指して、イビキをかいている自分の兄を示した。

義姉はくすりと笑った。

「そうねぇ、じゃあお言葉に甘えちゃおうかな。炬燵のテーブル拭いてお皿出してくれる?」

花道は二つ返事をして引き受けた。

洋平が濡れた布巾で炬燵板を拭き、花道が食器棚から皿を取り出す。

花道は食器を炬燵に運んで棚の前に戻る時、横目で調理をする彼女をじっと見つめていた。

洋平の義姉は、戸棚から出した大きな土鍋をコンロの上に置くと、土鍋に注いだ水の中に昆布を入れていた。

もう一往復すると、今度は野菜を次々と手際よく切っていた。切られた具材はステンレス製のトレーに並べられる。

役目を終えてやることがなくなった洋平が台所に立ち、流し台に置かれた野菜袋のゴミを持ち上げた。

「これ、捨てましょうか」

義姉は洋平をちらと見た。

「あっ、ありがとう。投げといて~」

「投げ……?」

小首を傾げる洋平に、義姉は口に手を当てた。

「あら、捨てといてって言いたかったのよ。方言が出ちゃったわ」照れ恥ずかしそうにはにかむ。

「北海道だと捨てるのこと『投げる』って言うんスね」洋平が微笑んでゴミを捨てる。

「そうなの。これ結構言っちゃうのよねぇ。働いてた頃もよく勘違いさせちゃったわ。昨日、私と会った時も訛りが気になったでしょ?」

「いやぁ、全然そんなことないっスよ」

洋平はそう答えた。だが確かに、標準語を意識しているような抑揚のところどころに聞き馴染みのない発音があった。しかし聞き取れないわけではなかったので、わざわざ口にはしなかった。

洋平が続ける。「それに、北海道の人からしたらオレらの喋り方が気になるでしょ。神奈川の方言、慣れるの大変じゃなかったっスか?」

「神奈川にも方言ってあんのか?」たまたま近くに立っていた花道が話に加わる。

「あるに決まってるっしょ」洋平が即答した。

洋平の義姉は笑って頷いた。そして思い出したように二人に頼んだ。

「戸棚の下にカセットコンロがあるから、ボンベつけてくれる? やり方分かる?」

「もちろんです! この料理の天才にお任せください」花道はドンと胸を叩いた。

花道がカセットコンロを炬燵の上に置き、ボンベを取りつける。洋平の義姉が慎重に土鍋をコンロの上に載せた。

蓋を開けると、昆布の沈む出汁の中に料理酒とタマネギ、ジャガイモを加えて火を点けた。灰汁を取り、昆布を取り出す。煮立ってくるのを見ると切られた鮭を入れて味噌とみりんを混ぜ合わせた。

「石狩鍋って言うの」

鮭を鍋に入れた時、彼女は言った。「北海道の郷土料理。お口に合うと良いけれど……」

「スッゲーウマそうです!」花道がギラギラとした目で言った。完成するのが待ち遠しいようだ。

また沸騰してきたところで残りの具材を追加して再び煮た。ぐつぐつと煮立つ鍋の振動で蓋が小さく震える。蓋が開くと、真っ白な湯気がもわっと昇った。

「ウマそ……」鍋の匂いを肺いっぱいに吸い、花道は溢れ出る唾液を飲み込んで言った。

「オメーはさっさと起きろよ」洋平は言って自分の兄の額を叩いた。

兄は文字通り叩き起こされ、額を押さえながらぱちくりと目を開ける。

「お鍋できたわよ」味見をして完成を認めた彼の妻が話しかける。

洋平の兄は頭を振って眠気を覚ますと、咳払いをして合掌の音頭を取った。


花道は石狩鍋の入った茶椀を受け取った。椀の中に浮かぶ鮭は淡い桃花色をして、噛めば噛むほど出汁とともに風味豊かな味が出た。ジャガイモは口の中でほろほろと崩れ、タマネギとキャベツのしょきしょきとした歯応えも良かった。

花道は黙ってその味を堪能した。しみじみと感じ入る美味さだ。

汁を飲んで温かい息を吐く。笑い声が聞こえて花道は茶椀から視線を上げた。

湯気でぼやけた視界の向こうではみんなが笑っている。炬燵を囲んで鍋を食べている。絵に描いたような団欒。

ことり。音を立てて花道は茶椀を静かに置いた。

「ごちそうさまでした」花道は呟くように言った。

「えっ、それだけでいいのか?」洋平が声をかけた。

空になったご飯茶碗と鍋の入っていた茶碗を覗いて、洋平の義姉も驚いたように訊ねる。「美味しくなかった?」

「いや、全然、そんなことないっス。めちゃくちゃ美味しいっス」

洋平の兄が言った。「満腹になっちまったか? 昼に海鮮丼たらふく食ったもんな」

「もしかしてそこのお魚に当たったのかしら……」

心配そうに目を見合わせる夫妻に、花道は慌てて否定した。

「いやいや、マジでなんでもないんで! ちょっと腹いっぱいになっただけっス」

洋平は花道をじっと見ていた。

「……お前が食わねぇならオレが全部食っちまうぞ」そう言ってお玉を取って茶碗によそう。それでも鍋の中はまだ具材でいっぱいだ。

洋平の義姉と目が合い、花道は小さく零した。

「すんません……」

「気にしないで。明日の朝ごはんにしましょう」

軽く頭を下げる花道に、彼女は柔らかく微笑んで首を横に振った。

花道は目を下に逸らして背中を撫でた。